トウブ放送局

ちゅーけんと言います。ただただ思いついたことを書いていきます

あの場所

友人の家で麻雀をやるためにあほみたいに重い麻雀マットを電車で一時間かけて運んだ。右手が筋肉痛になりかけている。

たしか小学生の頃に、できもしないくせに大人っぽいからと祖父母の家から持ってきたものだったはずだ。当時は点数計算どころか、まともにルールも覚えてなかったはずだが、いったいどうしてあんなに欲しがったんだろう。絵柄だろうか?

 

運び入れた後、何となく今はもうない祖父母の家について思い出すものがあったので、ここに書き留めておく。

 

 

祖父母の家は団地の二階建てで、近くにやたら公園があったために子供の頃はよく遊びに行った。幼稚園児の足で歩いていける距離だったのも大きい

夏休みになると毎日毎日、特に何もないのに祖父母の家にいっては、わざわざ自宅から持ってきたおもちゃで遊んでいた。自宅でも遊べることをなぜわざわざ移動してしていたのかは、今となっては全くわからない。

とかく、夏の日に歩いておばーちゃんちに行って、自宅から持ってきたおもちゃで遊び倒して、麦茶飲んで帰ってくるのが当時の私の楽しみだった。

 

私は祖父母の家の中に大好きな場所があった。

木造のやたら急な階段を上った先に、寝室と書斎につながる廊下がある。そして廊下には先ほどの麻雀を含めた色々な品物が入った物置があった。掃除機やストーブ、使い方のよくわからないおもちゃの入った物置は、子供にとって宝の山だった。

そして何よりも好きだったのが、その物置の上の空間である。

壁を四角くくりぬいたようなそのスペースは、子供の私が入り込むには絶好だったのだ。

湿気に弱い本や、私のよく使うおもちゃがここに配置されていたのも大きい。このスペースに入って、ひたすら読みふけった。

小さい隙間だったので、大人が入ることはできなかった。ここにいるときだけは、大人と同じ目線で話ができた。本を読んでもらう時に、抱えてもらうでもなく、端に座った祖母の背中越しに本を読んだのが忘れられない。

 

このスペースには窓があった。正確な名称はわからないが、上に開くタイプの窓だ。思い切り開けると、小さく蒸し暑いスペースにさわやかな風が吹く。

家の前の公園や、この家に訪れる人々を一望できたのも、秘密基地のようで好きだった。

 

いまはもう取り壊されているので、この家もこの場所も存在していない。

もし存在していても、今の私ではあのスペースに入ることはできないだろう。

 

もしももう一度あの場所に入れたら、壁を背もたれに本を読みたい。

時間は夜がいい。窓から入ってくる電灯と月の明かりを頼りに、本のページをめくる。

階段の下から、祖父母が自分を晩飯に呼ぶ声なんかが聞こえてもいい。祖父母の家に夜中までいるということは、きっと豪勢な晩御飯だ。

本にしおりを挟んで、この場所に置いておく。そして急な木造階段を気を付けながら下るのだ。

 

私は、あの場所を取り巻く空気感のすべてが好きだった。