寝癖
私は寝癖がひどい。水をかけても一切直らない強靭な寝癖が毎日ついているレベルで、どこへ行ってもからかわれるネタになってしまう。一時期は寝癖が付くのが嫌すぎて、逆に髪をぼさぼさに伸ばしていた。何故って、寝癖が重力に負けて元に戻るからである。こんな裏技みたいことをしないと太刀打ちができなかったのである。
バイトを機にバッサリと髪を切ったので、最近またこいつに悩まされる生活が続いている。
そんなうっとおしいが長い付き合いになるこいつだが、このまえ、こいつのおかげであるピンチを切り抜けることができた。
それはバイトを始めて数日たったある日のことである。
バイトを始めたばかりの奴が回される仕事というのは大体決まっているようで、私の職場では灰皿洗いとトイレ掃除だった。
トイレ掃除のときには、ばっちりマスクとビニール手袋が支給される。根性論で素手で掃除させられるようなことはない。というか、客も嫌だろう。素手で掃除したトイレ使うの。
モップで床をこすり、紙が減ってれば交換し、ついでに三角形に織り込んで「掃除してますよアピール」を決める。これで終わりである。
簡単な作業だが、お客さんが入ってきて作業が止まったり、掃除したばかりのところで用を足されたりすると、当然長引く。この日も間が悪く、なかなか掃除を終わらせることができなかった。そうでなくとも混雑した日で、表には片づけなきゃいけないお皿が山のように残ってる。喫煙席に入れば喉は痛くなるし、こちらは腹が減ってるのにお客さんは容赦なくおいしそうな料理を残していく。
掃除が完璧に終わった時には、少しばかり気が滅入っていたのである。
手洗い場の掃除を終えて目の前の鏡を見たとき、あまりにも嫌気が顔に張り付いていたので、これはいけないと思って、鏡の中の自分を鼓舞しようと思ったのである。
しかし疲れていた私は、ここで思い切りチョイスを間違えた。
拳を握った両腕を口元に掲げて、心の中で私は
「今日も一日頑張るぞい!」
と唱えた。言わずと知れた頑張るぞいのポーズである。
このポーズを完璧にとって、なんなら表情もそれにふさわしいドヤ顔になっていた私だが、しかし丁度その時である。
背後でドアの開く音がした。
トイレを利用なさろうとしていた年配のお客様と、振り返りつつもまだ頑張るぞいポーズが抜けてない私の目がばっちりあってしまった。これのせいで私はかなりパニックになった。ものすごく恥ずかしい。流石に頑張るぞいのポーズをご存じとは思えないが、そうでなくとも鏡の前でガッツポーズをしてるのはかなり痛い。しかもこの時、私は元ネタを意識して両肘を限りなく近づけて女の子っぽい感じでやっていた為、見ようによってはかわい子ぶりっ子をしてるようにも見える。男なのに
私があらぬ心配をしていると、お客様はこういった。
「あんた今、髪いじってただろ」
・・・なるほど。
確かにあのポーズは髪をいじってるように見えなくもない。後ろから見ればなおさらだろう。では私の胸中が穏やかになったかというとそんなことはなかった。むしろ状況は悪化した。
店員がお客様用トイレで髪をいじっていた。というのは、確かに頑張るぞいポーズをしていたよりかは理解が得られるだろう。だが許されるかどうかなら、これは頑張るぞい以上に許されがたい。特にお年を召されたかただと、「何掃除サボってんだ!」とかおっしゃられる可能性があった。
ここからもし騒ぎになることになれば、私は間違いなく先輩方に助けを求めに行かなければならない。となると私は、「髪を整えていた」か「頑張るぞいポーズをしていた」のどちらかを説明しなければならないわけだが、おそらくどちらを選んでも先輩方と相当ぎくしゃくするのは想像に難くない。
どうにかこの状況を抜け出すすべを考えていると、
「それでいいんだよ。」と
お客様は優しく声をかけてくださった。
どうやら、身なりを整えることは悪い事ではないと言いたかったらしい。だが明らかに私の寝癖をセットの結果だと思っている。
私はとりあえず「ありがとうございます」と言ってその場から離れた。
良かった。もし私に寝癖が付いてなかったら不審がられていたかもしれない。ありがとう寝癖。人生で初めてこの厄介な髪質に感謝の意を示した。
そして一つ心に決めた。
二度とバイト先で頑張るぞいポーズはしない。